• 風爺

「介護保険物語」第1回 森藤新部長 (1/3)

さあ始まりました!連載コンテンツ「介護保険物語」。

今回は記念すべき第1回です。

誕生からちょうど20年を迎え、新な世界での新な飛躍を期待されている介護保険制度。今後の運用はまさにわたしたちの知恵と勇気にかかっています。

お話してくださるのは、社会福祉法人サンシャインの誇る「温和知新」森藤新(あらた)部長。どんな話が飛び出すか、刮目しつつご拝読あれ!





措置時代の限界----「社会的入院」

藤田 今日は「介護保険物語」という連載を始めるにあたり、海よりも深く山よりも高い(笑)、介護への見識をお持ちの森藤部長においでいただいております。部長は平成8年に介護業界に入って以来約25年近くにわたりこの業界とともに歩んでこられました。その間この業界では「措置制度から介護保険制度へ」という大変革があり、その真っ只中でそこで起こったあらゆることを見つめ、また時には当事者ともなって激動の波を乗り越えてこられました。今回はその経験の一端でもお伺いできればと思います。

今日はよろしくお願いします。

森藤部長(以下敬称略) 海よりも、ということはありませんが(笑)、よろしくお願いします。

藤田 よろしくお願いします。

ところで今日は、事前に質問リストをお渡ししておりまして、それを踏まえて、戦後から2000(平成12)年に介護保険が始まるまでをお伺いしたいと思います。お話を始める前に、何らかの戦略というか、お考えはありますか?

森藤 戦略というのは大げさですし、とりあえず、行きあたりばったりで(笑)どうか、と。そこで、本題に入る前に一つご了承いただきたいことがあります。私がここでお話しすることは、その内容について学術的裏付けがあったり、関係するいろんな方々の賛同をいただいていたり、また、その内容の真偽を私自身で裏付けたりしたものではなく、それこそ行き当たりばったりで思いつくままに語らせていただくということで、よろしくお願いします。

藤田 いいですねえ。わたしはもう、行きあたりばったりばっかりで(笑)。大賛成です。

じゃあまず行き当たりで(笑)、介護保険が始まる前の時代、いわゆる「措置時代」の特別養護老人ホームの始まりの背景のようなことをお伺いしたいのですが、どうもその時代のイメージができないんですが、それはどんな時代だったんですか?



森藤 そうですね。まあ遡ればどこまで?ということになりますが(笑)、私が子供の頃に住んでいた田舎の町に養老院 というのがあったんですよ。それは何かといいますと、行き場のない老人、お金もないし、身よりもないし、ほっといたら野垂れ死にする、また生活保護でお金を渡してもなかなか自立して生きていけない老人、そういった老人たちを集めて生活をさせていたんですね。そういった人たちは必ずしも身体が不自由で今でいう介護が必要だというわけではないんですね。

藤田 ほうほうほう。それは戦後ですか?


森藤 戦後ですよ。戦後すぐぐらいの頃ですよ。ただ、仕組み自体はもっと前からあったようですよ。それこそ聖徳太子の頃からそれらしいものはあったようです。たとえば、どっかのお寺がそういう人たちに施しをしながらお寺で面倒みていたとかね(笑)。

藤田 なるほど(笑)。

森藤 だけど、そういう養老院では、入居している人が歳をとってきて身体が動かなくなってきた、というようなことになっても、そのホームの職員が専門で介護するというような仕組みはなかったんですよ。

それではやがては困ったことになるということで、その養老院を発展的に制度的に整備して、元の養老院の機能を引き継いだ養護老人ホームと養護老人ホームに入る人たちよりももう少し自立の可能な人たちが入る軽費老人ホームと言われるもの、それに身体介護に特化した特別養護老人ホーム(以後、「特養」という。)が出来たのです。

「養老院」を歴史的にみれば養老院は1929年(昭和4年)の救護法制定により、救護施設として制度化され、1950年(昭和25年)の生活保護方制定により、養護施設として位置づけられました。

その後1961年(昭和36年)に制定された老人福祉法により老人ホームと改称され、「養護老人ホーム」・「特別養護老人ホーム」・「軽費老人ホーム」 という名称に分かれております


藤田 介護人を付けて?

森藤 そうです。介護を専門に行う職員が配置された老人ホーム特養です。当然、それまでの養老院とは施設の作りからして規模も大きくなるし、職員の数も比べることもできないほど大規模になってきたんです。

こういう施設を造るとなると、国や自治体もしっかり予算をつけて、しっかり体制を構築して取り組まないととても運営していくことはできない。そんなレベルの施設ができたんですね。

つまり、老人福祉が新たな段階に入ってきた、と言えるんじゃないかな。

これは余談ですが、地方の自治体の中には特養と養護老人ホームの両方の施設を抱えるのは経済的に大変なので特養を養護老人ホームに代用し、身体的には元気な人たちも結構たくさん入居させていたんですよ。だからこういった人たちが介護保険導入後、要介護から外れて特養に居られなくなるのでは?と話題になったりもしました。

藤田 はあー。なるほどー。

森藤 まあ、介護保険が始まる前の状況というのは、そんな感じで、介護そのものをメインに捉えた専門の施設というのはまだ歴史としては浅かったんですね。

でもまあ、この質問リストに則っていきますと、まず第1問ですが、自立支援という考えとかがあって、それらを引き継いで、介護保険につながっているという主旨の質問になっているんですけれども、実は、これを言うと元も子もないんでしょうけど、そういうことはね、まあ言ってみれば、だいたいが方便なんですよ。

藤田 ほうほう。方便?

森藤 要するに、その時その時で施策が出てくるのは、それまでの施策が行き詰まって、このままやってたらちょっとうまくいかなくなるとか、あるいはいろんなとこから何か要望が出てきて、とかで、だったら新しい施策を付け加えていく、と。そうしてやって出てきたのが、結局は介護保険なわけで、その時はそれまでの措置時代のやり方が限界に来ていた、ということなんですよ。

で、そんな中で一番大きな限界というのは、「社会的入院」 ということではなかったでしょうか。


藤田 ふんふん。なるほど、社会的入院!

森藤 人間誰しも歳取ってくると、何か病気しますよね?それでそのとき入院させて、そのままずるずる、病気が治癒して退院させようとしても家族がもう看られないとか、そういうことがどんどんどんどん増えてきて。

その頃もちろん先程出た特養はあったんですが、当時の特養は誰でも入れるなんてものではなくて、元々は弱者救済から来ているので、困窮者とか行き場のない人をお世話してたっていう背景があるんです。

藤田 特養が始まったのは、資料によると、昭和38(1963)年ということになってますね。

森藤 そう。だから特養には誰でも入れるというわけにはいかない。入れるのは低所得者に限られていた。一方、歳を取ってなんらかの世話が必要になるのは、なにも低所得者だけではなくて、平均的な所得の人やお金持ちだってそうなる。なのにそういう人たちはなかなか特養には入れない。というよりも入りたがらなかった。特養というところはお金のない困窮者がいく姥捨て山のようなところ、というのが世間の認識でしたからね。だったらどうするか?もう治療するところはないのに退院せずに入院を続ける、ということになって、それが「社会的入院」ということで社会問題になった。

社会福祉法人サンシャイン​

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