• 風爺

介護保険物語 第1回 (2/3)

最終更新: 7月15日


戦後高度成長期と家族制度の崩壊 藤田 はあはあ。なるほど。 ちょっと待って下さいよ。これまでのお話とちょっとずれるかもしれませんが(笑)。 わたしの調べによりますと(笑)、1973(昭和48)年、「老人医療費支給制度」 というのができて、70歳以上の高齢者医療費が無料になりますよね?それが1983(昭和58)年に廃止されるまで、10年間、老人の医療費が無料だった時代がありました。この時代はつまり、高齢者の世話は社会で看ようや、という意識があったんですよね?


森藤 確かにそのような意識があったと言えなくもないですけど、この制度ができる背景には相当悲惨な寝たきり老人の問題があり、これをなんとかしなければならないという非常に切羽詰まった事情があったんです。 ただ、この問題をそこまで掘り下げてお話しすると非常に複雑になりますので、ここでは、家族制度の崩壊ということに焦点をあてて流れを見ていきたいと思います。 そもそもですね、「介護」というのはもう、歴史上ずーっと行われていたわけです。じゃあその介護を誰がやってたか?といえば家族がやってた。それが当たり前だったわけですね。そのため家族の中で行われる介護の様子というものはほとんど表にでてくることはなかったのです。そういうふうに介護は人目につかない形で家族内で処理?されていた。それが綿々と続いてきてたわけです。 藤田 そうなんですか? 森藤 ところが近代になってその家族制度がだんだん崩れてき始めた。この家族制度が崩れるっていうのはね、文明がというか社会がというか(笑)、それが発展してきて、それまではみんな家族と一緒に生活していたものが、子どもたちがだんだん外を見るようになった。 藤田 それはあれですか?戦後の高度成長期というか、その頃のこと? 森藤 そうですそうです。で、外を見るようになる。見るだけじゃなくて、外に出かけて行ってそこに生活の基盤をつくるようになる。家から離れても生活ができるような社会になっていって、家族に頼らなくても、自分たちで生活できるじゃないか、ということになっていく。 そもそも家を継ぐことになっていた長男ですらも家族から離れていくわけです。物理的に離れていくわけだから、そりゃ面倒看られないよね。それが家族制度が崩れるっていうことなんでね。 で、離れた当初はまだ両親を看なくちゃという意識はないわけです。まだ両親は元気だから(笑)。


藤田 なるほど。だけどそれからしばらくして、20年もすると、親も元気がなくなってきて、面倒看なくちゃという意識が出る、それが1990年ぐらいからで、でも物理的に離れちゃってるから、面倒看ようにも看られない、と。 森藤 そう。そういう家族制度の崩壊による、面倒看ようにも看られないという社会的状況変化の兆しと、先に述べた社会的入院というのがほぼ同時に起きてきたわけですね。だから国民の側からいうと、もう家族では親を看られないので、「これからは国が面倒を看てくれる」ということになると、少しは安心するわけですね。ならお金を出してもいいか、とこうなる(笑)。 藤田 はあー。なるほど。面白いですね(笑)。面白いって言っちゃ、怒られる(笑)。でも面白い(笑)。 「介護保険」の導入 森藤 当時、措置制度の時代は、(まあ元は国民の税金なんだけど)お金を出すのは国だったんだよね。でも、そうして国からお金を出してたんでは、もう間に合わなくなってきた。そうして出てきたのが、国民に直接お金を出させようという介護保険という仕組みなんですよ。 藤田 なるほど。あ、こういう資料がありますよ。 当時の高齢者介護対策本部の事務局長をしていた人の話なんですが「1994(平成6)年、細川首相が打ち出した「国民福祉税構想(税率7%)」が頓挫したとき、社会保険方式しかないと思った」という。 森藤 まあその人がそう思ったんならそれでいいんだけど(笑)。 でもね。そうして国民に(保険という形であっても)お金を出してくださいと言っても、誰も快くは引き受けませんよね?


藤田 そりゃそうですねえ(笑)。 森藤 でもどうしてももう国はお金を出せない。だったらなんとかして国民にお金を出してほしい。とすればその前に、国民に、お金を出してもいいかな、という認識をもってもらわないといけない。どうすればいいか?そういうときに世界を見渡してみて、そこにあったのが「介護保険」という仕組みだったんですね。それならそれを持ってこよう、と。 藤田 はあああ。ということはその時点でもう、世界には介護保険という仕組みがあった?

森藤 あったんです 日本では、それを名付けて「介護保険」という名前にした、ということです。まあ、実際はこんな単純な話しではないでしょうけどね。 障害者福祉の先見性 藤田 でもその前、介護保険が始まるまでは、「老人福祉法」(1963(昭和38)年公布)は「高齢者福祉対策」を、「老人保健法」(1982(昭和57)年公布)は「老人保健医療対策」を、それにもうひとつ「心身障害者対策基本法」(1970(昭和45)年公布)というのがあって、それが「障害者対策」を、という感じでそれぞれがそれぞれを担っていた、と。 言ってみれば、この3つ、ボーンボーンボーンって、福祉の3本立てって感じがするんですが(いわゆる福祉三法は、①児童福祉法②身体障害者福祉法③母子及び父子並びに寡婦福祉法、です)、中でも、1970(昭和45)年制定の「心身障害者対策基本法」がその第六条で「障害者は、その有する能力を活用することにより、進んで社会経済活動に参加するように努めなければならない」と言ってて、この「有する能力を活用する」っていうのが、無茶苦茶現代っぽいっていうか、今の「自立支援」という考え方にすごく沿っているような気がしてるんですね。そこから今の「自立」の考えが出てくるんじゃないか、と。 で、一番最初の質問に戻るんですが(笑)、つまり福祉の3本立ての中で障害者福祉が一番進んでたっていうか、そんな感じがするんですが、森藤部長はいかが思われます? 森藤 う~ん。たぶんね、老人福祉の方は、伝統的に家族が看ていたということがあって、それって言ってみれば、当たり前と言うか、年取ってくるんだから看なきゃいけないでしょう。だから老人の方は家族でよろしくということでしょう。 一方障害者っていうと、生まれつき障害を持って生まれた人もいるし、若くして障害を負った人もいて、そこから延々と人生が続くわけですね。それからずーっと一生その障害を背負って生きなきゃいけない。だとすればね、日本も文明国家だと言うのなら、そこはちゃんと国が面倒を看なきゃいけないというか、そこにスポットを当てて対策を考えなきゃいけない。そういうことになったのではないでしょうかねえ。 藤田 ということはあれですかねえ、障害者の場合は、家族が看るというクッションがなかった。だから初めからそこに国が介入する必要があった、ということですかねえ? 森藤 うーん。というか、障害者でも家族が看るというクッションはあったんだとは思うんですよ。でもそれをそのまま家族に丸投げで国は何もしなくていい、というスタンスが取れなくなってきたということではないでしょうか。 藤田 はあー、なるほど。 森藤 国は国で発展していくじゃないですか?繁栄して発展していく。でも障害者はそのままそこにいる。すると、欧米諸国から見たときに、あっちの国はその辺進んでいますからね、なんだ、高度成長とか、先進国、経済大国とかなんとか言ってるけど、障害者はこのままなの?って。なんだって思われるでしょ?それじゃいかんと。 藤田 なるほどねえ。 それで障害者の福祉理論が老人の福祉理論なんかに比べて先行していった、と。そういうわけですね? 森藤 それと、ちょっとシビアな言い方かもしれないけど、老人は先が短いのよ。今更自立もないでしょ、と。でも障害者の方は親の方が先に亡くなっていく、と。やっぱりそのへんのニュアンスが違うんじゃないかな。老人と障害者では。 藤田 う~ん。なるほど。そのへんの感じ、ようやくなんとなくわかりました。

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