(2)介護保険創設
(前回より続く)
平成14(2002)年 改正 介護保険導入とユニットケア
藤田 ともかくそうして、2000(平成12)年に介護保険は始まったときこそ大ブームが起きたけれども、しばらくしてそれも下火になってきて、現在に至るということですが、それでも今までに何度も、そしてたぶん今からも、改正されてきたし改正されていくということで、それをひとつひとつ詳らかに考えていきたいと思います。
その前に、森藤部長のレジメによると、介護保険導入が特養にユニットケアという介護の方法というか概念というか思想が定着するうえで大きな影響を与えたということなのですが、わたし正直に言って「ユニットケア」ってそんなに注目してなかったんですが、これは大したものなんでしょうか?
森藤 これはね、すごく画期的な発想ですよ。特にわたしのように措置時代の特養というものが頭に入っている人間からすると、「ユニットケア」という思想はね、ほんと画期的ですよ。これはおそらく介護保険ができていないと導入・定着されなかったんじゃないかなあ。
この特別養護老人ホームにユニットケアが導入・定着されたっていうことは、こと特養に限って言えば、ひょっとしたら介護保険導入がもたらしたもっとも大きな変革のひとつの表れといえるのではないか、とすら思いますよ。
それまではね、入居者を集団として捉えられていて、個人の事情に基づいた個別ケアという概念なんてほとんどなくって、あったとしてもそれは特に困難な特殊ケースぐらいにしか捉えられていなかったわけですよ。だから特養という施設は全国どこに行っても似たり寄ったりの雰囲気を醸し出しているでしょ?いわゆる収容施設の色合いの濃い施設だったんですね。
その建物からして、白塗りの壁の居室や廊下、4名程度の相部屋、白く冷たい鉄パイプでできたベッド、それを仕切る白っぽいカーテン、まるで病院でしょ?入居者は「介護を受ける」という「治療」を受けているようなもので、病院の入院患者と何らかわるものではなかったんですね。
つまり、特養には生活の場としての住環境というものがほとんど考慮されていなかったんです。こうした特養で過ごしているお年寄りたちの様子に強い違和感を覚えたある施設の施設長さんが、これは何とかしなくてはと考え出したのが、ユニットケアの考え方と言われています。そこから特養も入居者の生活の場と考えるべきだということになったんですね。
藤田 そのある施設の施設長さんが「ユニットケア」という考えを言いだしたのは、やっぱり介護保険が始まった後のことですよね?
森藤 いや、それは介護保険が始まる前のことでしてね、もう、有名な話なんですよ。
それは、1994(平成6)年、ある特養の施設長が、数十人の高齢者が集団で食事を摂る光景に疑問を抱き、少人数の入所者と共に買い物をし、一緒に食事を作り、食べるという試みを始めた、というのが始まりなのです。
それからというもの、いろんなものが変わってきたんですが、一番わかりやすいのは、特養の建物そのものでしょうね。さっきそれまでの特養の建物の描写をしましたけど、それがどのくらい変わったかと言うと、ユニットケア導入後に新しく建築された特養の建物はその外観もですが、その中に一歩足を踏み入れると、ここはホテルか?と思うような雰囲気で、玄関ロビーなんか以前は冷たいタイル貼りだった床も、赤いじゅうたんとまではいきませんけど、最近はそれなりに気を使った床材を使っているのが普通でしょ?そこからロビー、リビング、居室なんか見てみてくださいよ。以前の特養とはまったく違った造り、内装になっていますよ。
もっとも今現在皆さんが目にするのはほとんどユニットケアの特養なのでそれが当たり前と感動もしないかもしれませんけど、私のように昔の多床室施設をみている者にとっては、ずいぶんりっぱになったものだなあ、と感心させられますよ。
このサンシャインももちろんユニットケアを導入していますが、これ、広島市で3番目の早さですからね。
藤田 え?早い順で?へええ。サンシャインは平成16年にできたんですよね?このユニットケアの改正ができたのが平成14年ですもんね。
森藤 そうそう。もうそれからは施設ならユニットケアじゃないとだめですよ、ということになりましたからね。
藤田 でもそれ以前にできている特養さんなんかもあるわけでしょ?そういうところはどうやっているんですか?
森藤 ハードはもうどうしようもないから、パーティションでユニットケアみたいにしていますね。まあ多床室を区切るっていっても難しいんですが、一応それで認めてもらっていますよ。
藤田 はああ。なるほど。えー、手元の資料によりますと、“ユニットケアの目指すもの“という項目がありまして、そこに書いてあるのが「施設全体で一律の日課を設けないこと」とか「流れ作業のように業務分担して行う処遇を行わないこと」とかいろいろありますね。きっちり書いてありますね。
森藤 きっちり書いてあるんですよ。
藤田 ユニットケアというか個別ケアというか、こうしてきっちり書かれている。ここで書かれていることを本当にきっちりやれば、かなりいい介護ができそうですね?
森藤 それはそうなんだけど、それにはかなり手間ヒマと人手がかかりますよ。ユニットだとほら、目が行き届きませんからね。ま、ユニットケアにもいろいろ課題がありますけどね、ここではそれは置いておきましょう。
藤田 そうですよねえ。でも介護保険ができてたったの2年で「ユニットケア」っていう、個別ケアが大事よーっていう考えが出てきたわけですが、これってある意味不思議じゃないですか?措置時代はベッドに縛り付けるような介護を平気でしていたのに、介護保険ができてもう2年後には利用者に優しいそういう考えが出てきている、というところ。
森藤 それはね、ある意味、くびきが取れたからじゃないでしょうか。こういうエピソードがありますよ。
ユニットケアが導入された平成14年を遡ること4年ぐらい前、介護保険の話がちらほら話題に上っていた頃、特養などを運営する社会福祉法人にも「人事考課」という考え方が出てきて、よく頑張っている職員には高い評価を与え、処遇もそれなりによくしていこう、という機運が芽生えつつある頃だったんですね。
私が勤めていたある法人ではその考えを先取りし、人事考課制度を採り入れた新しい給与規程を策定し、平成11年4月には人事考課を反映した新給与規程で出発するぞ、ということで、2月頃所轄官庁にその旨報告に行きました。
すると「ちょっと待ってください。人事考課を採り入れるのは結構なことだが、現在の措置制度下では給与規程はあくまでも公務員の規程に準拠したものを引き続き使用していただきたい。これほど根本的に変更した給与規程を認めるわけにはいかない。これを実施するのは平成12年4月からにしていただきたい」と言われたんですよ。
そのせいで1年遅れで新給与規程での人事考課制度がスタートすることになったんですよね。それでもおそらく、当時の全国の社会福祉法人の中で人事考課制度を本格的に導入した数少ない法人のひとつだったことは間違いないと思うんです。もし平成11年4月に導入できていたら全国で1番だったかも、と思うと、少し惜しい気がします。
藤田 ははあ。それだけお役所の規程がいろんなところでいろんな動きを封じていたということですね。で、そのくびきが介護保険の出現で取れたんじゃないか、と?
森藤 そうじゃないかと思いますよ。介護保険以後、施設でなにか起きても、今後はその施設の責任になるわけですよ。制度というよりも施設の責任になる。
そうして介護保険制度の導入によって措置制度時代に築かれた殻を壊して新しいものを創り上げる自由が与えられたわけですね。それが、ユニットケアの導入・定着をもたらしたということは介護保険制度の大きな手柄だと言えるんじゃないか、とこういうわけですよ。
藤田 なるほど。そういうことですか。
でも今、介護業界は大変な人手不足な状況にあるわけで、その大きな原因としては職員の給料の安さがあるんじゃないかと思いますし、言われてもいます。最初にも伺いましたが、この給料が安いってことも、措置時代もそうだったんですか?
森藤 ええ。それは変わりませんねえ。だって考えてください。措置時代の職員って、若い介護士(主に女性)は学校を出たばかりだし、そうでもない人は家庭に大黒柱になる人がちゃんといて、そうじゃない人がちょっと家計の足しにでもなれば、という感じで働きに来ていたわけですからね。そりゃそんなに給料が高くなくてもちっとも構わないわけです。
それから介護保険ができたわけですが、その介護報酬を決める計算の根拠になったのは、その前の措置時代の職員の給料なわけですからね。そりゃ低いんですよ。上がるわけがないんですよ。
藤田 ははあ。措置時代の影響ってそういう根本的なところに残っているわけですねえ。
(次回に続く)
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