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  • 執筆者の写真風爺

介護保険 その進化過程におけるよもやま話 No.3


(2) 介護保険創設


藤田 さて今日も始まりました。ご好評いただいております連載企画「介護保険物語」です。今回からはあらかじめ森藤部長にお話のレジメを作っていただき、これを元にお話を伺おう!ということになっています。

ということで今日もよろしくお願いします。

 

森藤部長(以下敬称略) よろしくお願いします。


平成12(2000)年 介護保険創設


藤田 今日はいよいよ介護保険が成立してからのことのお話を伺おうということです。それについて森藤部長のレジメを読ませていただきましたが、今回もまた素晴らしく面白いお話が伺えそうです。早速お願いします。


このレジメの最初にもありますが、前回ですか、介護保険が成立に至る社会背景というようなものをお伺いしました。社会的入院、寝たきり老人問題などですが、調べてみるとこの頃はすごく精神病院の病床が増えてきていて、今では認知症(その頃は痴ほう症と言っていましたが)として診断されそうなお年寄りの方々が精神病と診断されてそういう病院に入院させられるなどということが、随分あったようですね?

 

森藤 そうですね。当時は老人のそういう症状は認知症なんだという判断はありませんから、おじいさんおかしいぞ、即病院だ、ということになるわけです。

 

藤田 当時(1970~90年頃)の厚生省の役人も、そういう状況をほとんど知らなくて、それどころか福祉亡国論みたいな論調が世間では流行っていたようです。


それでも1989年には高齢者福祉推進10カ年戦略としてゴールドプランが提出されます。と言っても当時のそれは今から見るとお題目重視の傾向があるのか、ゴールドプランの骨子は「寝たきり老人ゼロ作戦」と「ホームヘルパー10万人計画」なのですが、それらの数値目標は合理的に算出された数字というより、気前と切りの良さから「ゼロ」とか「10万」が選ばれたらしいですし、そもそものプラン名も当初は「シルバープラン」というものだったようですが、これも「シルバー」じゃ景気が悪いということで「ゴールド」と決まったようです。


ともかく1990年頃からこのままじゃまずい、ということが役人にも認識され、なんとかしなきゃいかんが、じゃあどうするか?という気運が出てきてそれがそのままストレートに介護保険創設につながっていったわけですね?

 

森藤 行政というのは、なにかビジョンがあってそれに向かってやっていく、という風にはなりにくくて、そうじゃなくて現実にこういう問題がある、じゃあそれをどうやって解決するか?という風に動くんですよね。そしてその問題っていうのは、役人が見つけてくるようなものじゃなくて、住民からこんな悲惨な現実があるじゃないか、どうにかしろっていう感じで上がってくる、突きつけられてくるものなんです。そういうやり方しかできないでしょうね。

 

藤田 なるほど。ともかくもそういう次第で、それまで家族がひっそりと行っていた「介護」を、これからは社会全体でみていこうという雰囲気が出てきた。その頃ご活躍されていた評論家の樋口恵子さんもそうした運動を強力に推し進めておられたおひとりですね。

 

森藤 それはもう、一種の合い言葉ですよね。これからは個人が介護を担うんじゃなくて、社会で担っていこう、みんなで介護を担っていこうということです。

 

藤田 そのときの「みんな」というのが厚生省的には狙いだったんでしょうか(笑)。措置時代のように国だけがみなくてもいい、という。保険方式にして「みんな」で担っていこうという。


そういうことで、いよいよ介護保険法が1996年11月に国会に提出、翌97年の12月に成立、2000年4月施行ということが決まります。それを受けて、その頃の世情はどんな感じだったんでしょうか?

 

森藤 そうですねえ。世情というほど全体像を捉えたものではありませんが、介護保険導入後に起きたブームとも言えるような現象をひとつ紹介しましょう。


今現在、介護業界では介護職員の確保に四苦八苦していて、募集をかけてもほとんど人が来ない、などという声をよく聞きますよね?わたしなんかもそういう担当をしていたんですが、実際本当に人が来ないんです。


でも、介護保険導入後の平成12年頃は、「介護職員募集」という案内を出すと、10人、20人という応募者がどっと押し寄せるということが普通にあったんです。

しかもですよ、介護とはまるで縁のなさそうな、どこかの一流企業にでも応募しそうな若い女性(当時は介護職員というと女性の仕事という認識が一般的だったので)がたくさん応募してきていたんです!


平成12年の夏に行われた介護施設を対象にした就職フェアには、介護関係の専門学生だけじゃなくて、一般学生や一般社会人が本当にどっと押し寄せ、各施設のブースには鈴なりの人だかりができていましたよ。


私もそのブースの一つを担当していたんですが、フェア開始の午前10時から昼をはさんで午後4時までずっと喋りっぱなしで、それでも4時までにさばききれないほどだったんです。これは私のブースだけではなく、多くのブースがそういう状態でした。それに、マスコミの取材も盛んで、会場のあちこちでカメラが回り、インタビューが行われ、夕方のニュースで一斉に放送されていました。


そうして、たくさんの若者たちが介護業界に入り、介護職員への道を歩み始めたということで、そういう夢のようなブームがこの業界にもあったんですよね。そのくらい、介護保険は世間に大きなインパクトを与えたんだと思います。

 

藤田 えー!本当ですかーそれ?ホントにホント?


日経新聞 2000年4月5日

森藤 これ、本当なんですよ。信じられないでしょ?介護保険が始まった平成12(2000)年頃、介護士募集って出したら、もう、事務員募集より人が来たんですから。ドドーッと(笑)。

 

藤田 へえー。すごいですねえ(笑)。でも、分からないなあ(笑)。どうしてそんなにブームになっちゃったんです?

 

森藤 それはまあ、介護事業が事業としてこれからものすごく発展するだろうって、世間が思ったんでしょう。だからほら、いろんな企業が参入してきたじゃないですか。コムスンとかニチイとかツクイとか(笑)。


それまでは社会福祉法人しかできなかった介護の事業が、特養を除いて、訪問介護やデイサービス、もう民間企業でもできるようになったんですから、そりゃ来ますよ。誰でも開けるんですから。

 

藤田 ほーほーほー。

 

森藤 その頃は介護するのは女性が主でしたから、もう、女性ばかりがドーッと押し寄せるんですよ。それも一流企業がふさわしいような女性が。わたしが以前いた施設でもそうですよ、面接に来た女性で、ミスなんたらをやっていました、なんていう人も来るんですよ。

 

藤田 ウハーじゃない、ウワー(笑)。素晴らしい(笑)。でもでもでも(笑)。どうも解せないんですが(笑)。ひょっとしてその頃は介護士の給料って今より高かったとか?

 

森藤 いやいや。そんなことはないですよ。今とそう変わりませんよ。

 

藤田 はあー。じゃああれですか、国の方が、なにかキャンペーンかなにかして大いに煽っていたとか?

 

森藤 いやあ、そういうねえ、火付けはしてないと思いますよ。うん。

 

藤田 じゃあ、あれですか、国民が勝手に盛り上がって?

 

森藤 そうそうそう。

 

藤田 はあー。それが、じゃあ1年ぐらいは続いた、と?

 

森藤 まあ、1年ちょっとくらいはそのブームが続きましたね。信じられないでしょ?今から考えたら。


でもそれはね、「介護」とはなにかがわからなかったからなんですよ。それが、介護保険制度の導入によって、これまでどちらかというとあまり大っぴらにされなかった要介護状態というものに光が当てられ、ある意味これまで隠されてきたような事柄まで表に出てくるようになった。そのときはじめて要介護状態というものに対する認識があまりにも現実と乖離していたことに気づくことになるんです。


このあたりから、ブームにつられて介護の何たるかも分からず介護業界に足を踏み入れ実際現場を目の当たりにした若者たちも、一人去り、二人去りし、先のブームが徐々に下火になっていくわけなんです。そして、いつの間にかそれ以前やっていたような人しか来なくなっちゃった、と。


企業もね、やってみて、そんなには儲からないぞ、っていうのが見えてきたんだと思いますよ。でも一端やり始めたらそんな簡単にはやめられないじゃないですか。それで利益を上げていこうとして、だんだんブラック企業じゃないけれど、職員をこき使ったり不正スレスレみたいなことをして、バンバンバンバンやり出したんですね。それでコムスンなんか破綻してしまったりしてね。

 

藤田 はあー。でもわたしもいい歳なんで(笑)、その頃生きていたんですが、そこにチャンスのチャの字も感じなかったんですが(笑)。

 

森藤 そうだよね。20年前だから、そういう年代だよね(笑)。

 

藤田 いやいや、感じないどころか(笑)、ちょうどその頃ある会社の社長さんと知り合いでして、その人から、今度介護保険とか始まるらしいけど、そこになんかビジネスチャンスはないか?フジタタカトシ!って訊かれまして(その人わたしのことをフルネームで呼ぶんですよ)、わたし一晩考えたんですが(笑)、ないでしょって(笑)。

 

森藤 いやあ、正解正解(笑)。

 

藤田 自分の才覚の無さを感じます(笑)。


(次回に続く)


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