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​「わたしと介護」 第1回(1/3)

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原田真奈美さん

大人気(?)連載コンテンツ「わたしと介護」、今回は記念すべき第1回です。

出演してくださるのは、デイサービスセンター・サンシャイン南蟹屋の誇る「控えめダンデライオン」原田真奈美さんです。

昭和52年生まれの原田さんはこれまでの介護歴15年あまり。ご家庭には最愛のご主人とお子さん3人の5人家族。とっても優しい原田さんが、今日はさてどんなお話をしてくださるか?とても楽しみです。

われらが原田さん、いったいどういうきっかけで介護の世界に?

 

 

藤田 今日はお忙しい中、時間をとってくださってありがとうございます。「わたしと介護」記念すべき第1回ゲストは、デイサービス・サンシャインの原田真奈美さんです。

ようこそ、いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ。

原田さん(以下敬称略) 原田です。よろしくお願いします。

藤田 あ、藤田です。こちらこそよろしくお願いします。

どういうことになるか、わたしもわかっていないんですが、原田さんの魅力をみなさんにお伝えすべく、今回のお話はぜひ、ホームページに掲載させていただきたいと思います。

 

ところで早速お聞きしたいんですが、今回のお話をみなさんにお伝えしたい、と言ったのですが、原田さんとしてはどうでしょう、特に誰かに見てほしい、聞いてほしいといったことはありますか?

原田 そうですねえ。介護の仕事をされている人で、ここしか、そこしか知らないっていう人、いらっしゃるじゃないですか?

藤田 ああ、いわゆる同業者の方で?

原田 そうですそうです。そういう人に聞いてもらって、こんなこともあるんだよ、ということを知ってもらえれば、と思いますかねえ?(笑)

藤田 ああ、いいですね。

原田 といっても(サンシャインが)3ヶ所目なんですけど(笑)

藤田 いえいえ。ところで原田さんにはあらかじめこちらからお聞きしたい事柄をまとめた質問リストをお渡しさせていただいております。それに対して原田さん、びっしりと答えを書いてきてくださって(笑)、大変ありがたいです。

 

その最初、まず介護の仕事に興味を持たれたきっかけのようなものがあれば教えていただきたい、ということだったんですが、それは中学生のときだった?

原田 そうなんです。

わたしその頃北広島町にいたんですが、中学生だった時、学校で花を育てたんですね。それでその花を近所の老人ホームへ持っていこうということになったんですが、じゃあ誰が持っていくの?というときに、誰も手をあげなくて、わたし隣の人と話して二人で手をあげたんですね。それで持っていったんですが、ただ持っていくだけのつもりでいたんですが、お花を差し上げるとそのお年寄りの方が、泣いて喜ばれて、それにすごく感動したのが始まりです。

藤田 ははあ。そうなんですか。花を持っていったら、泣いて喜ばれた?それはすさまじいというか、すごい経験ですねえ。

原田 それがですねえ、今思い出してみると、その時持っていった花は、たぶん菊の花だったんですよ。

藤田 菊の花?

原田 ええ、そうなんです。その頃はわからなかったんですが、菊の花だったので…。

藤田 え?するとそのお年寄りが泣かれたっていうのは、違う意味で泣かれた、と?

原田 いえ、そうじゃないとは思うんですが。

藤田 やっぱり喜んで泣かれた、ということでいいですかね?

原田 ええ、それでいいと思います。

藤田 そうですか。するとそれからは…。

実は介護保険が始まる前からヘルパーさんになりたかったんです。でも…

原田 それでそんなお年寄りのそばにいたいなあと思いはじめまして。どう調べたのか覚えてませんが(笑)、それには介護福祉士というものになればいいと知りまして。それから高校を出てからすぐに、福祉の専門学校に行きました。まだ介護保険が始まる前だったんですが、先生がおっしゃるには、もうすぐ介護保険っていうのが始まりますよ、ということでした。

藤田 ははあ。だいぶ昔ですねえ(笑)。それで資格を取られて?

原田 そうです。わたしほんとはすぐにヘルパーさんになりたかったんです。その頃テレビでヘルパーさんが仕事をされるのを見たことがあって、いいなあって思って。でも先生は色々経験した方がいいよ、とおっしゃってくださって、それなら、ということで療養型の病院に就職しました。

藤田 ははあ。先生の言うことに素直に従われたのですね。それはどんなところだったんですか?

原田 そこはですねえ、すごい重症の方が集まる病院だったみたいで、ワンフロアに50人~70人ぐらいいらっしゃって、7階建てだったんですが、入院されている方、ワンフロアが一年でごっそり入れ替わるようなところでした。

 

藤田 一年で?亡くなられて入れ替わる?ワンフロア?それはまたすさまじいところですねえ。

 

原田 一晩で2人亡くなられたなんてこともあったんで…

 

藤田 はあー。そりゃ大変ですねえ。そんなところがあるんですねえ。それでこの書いてくださったものによると、そこでの流れ作業がお嫌だった?

 

原田 そうなんです。介護の全部がそうなんです。食事介助だと、もう端から、両方から攻めていくような感じで(笑)、ずーっと歩きながら(笑)、ベッドがおむつ交換に便利なように上げてあるんで、立ったまま、ぐるぐる回りながら、お一人がもぐもぐされている間に次の人のお口に入れてっていう感じで。お風呂なんかもそうなんです。運ぶスタッフはずーっとストレッチャーを運んできて、中に入ると、頭を洗う人、上半身を洗うと、下半身を洗う人に分かれてて。

 

藤田 はあー。なんかあれですね。自動車工場で自動車を組み立ててるみたいな…。

 

原田 そうなんです。入院されている方は人間なのに、まるでモノのような扱いされてるなあって。

 

藤田 はあー。なるほどねえ。で、先生が紹介してくださったんで入ったそこに、それでも4年ほどおられて?

 

原田 そうなんです。もちろん、要介護度の高い方の介助の仕方とか、死後の処置の仕方とか、勉強になったこともあったんですが、そういう感じがどうしても嫌になって。

 

藤田 ははあ。それでやっぱり在宅の仕事がいいな、と。

 

原田 そうなんです。それでやっとヘルパーの仕事をするようになりました。

 

療養型病院から念願のヘルパーへ!

藤田 やってみてどうでした?

 

原田 実際利用者さんのおむつ交換や入浴介助をゆっくりしていると、「あ~!これが介護だ~!」って思って。とても嬉しかったです。

 

藤田 はあ~。「これが介護だ!」って、ガッツポーズが出て?それはすさまじいですねえ。

でもどんなところが、これが介護だ!って思えたんですか?

 

原田 やっぱりそんなふうにして、利用者さんとゆっくり相対してると、結構みなさん、話をされるんですね。病院ではなかったことなんですが、寝たきりの利用者さんも話をされるんで、そのときなんか、あ、しゃべれるんだ!って、ビックリしました。

 

藤田 そこでサービス提供責任者をされていた、と?

原田 そうなんです。でもサービス提供責任者の仕事はあまり好きじゃなかったです。契約に行ったり、ケアマネさんや家族さんと連絡したり、ヘルパーさんの指導や調整なんか、そういう仕事はどうもわたしには向かなかったですね。

 

藤田 なるほど。それでもその仕事を2年半されて、そこでいったん職を離れられた?

 

原田 そうです。プライベートなんですが、この時期に結婚して子どもが生まれて、そんなこんなで、都合7年半の間、仕事はしませんでした。

 

藤田 なるほど。そうして育児が一段落されて、再びヘルパーに戻られたんですね?

 

原田 そうです。元いたところへ戻らせていただきました。

 

藤田 そのときパートで戻られたそうですが、なぜパートで戻られたんですか?

 

原田 今度は子どもがいますので、時間を自由に使いたかったんです。

 

藤田 なるほど。で、その休まれている間に介護保険が改正されて、要支援という枠ができていたわけですね。

 

原田 そうなんです。再び働き出したのは2012年からなんですが、その間に(法律の改正で)訪問の時間帯が大幅に短縮されていて、大急ぎでやる感じになっていて。それでも時間の使い方次第だなあと思って、手を抜いたりせずに、わたしの思いの介護を提供してきたつもりです。

藤田 原田さんの「思いの介護」?そうですか。そう言われれば介護の仕事って、手を抜こうと思えば抜けるところってありますものねえ。

 

原田 そうなんです。あれやこれや。まあ、それは病院にいたころも同じではあったんですが。

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